空挺ブログにはそぐわないと思ったのですが、あえて太平洋戦争について考える記事を載せます。空挺団の前身は陸海軍の落下傘部隊にあるのですから、まったく戦争が無関係ではありません。空挺こそ空中挺身隊の略語なのです。
第一空挺師団とは、陸上自衛隊第一空挺団のことです。
コメントいただきありがとうございます。コメントするにはグーグルアカウントが必要です。質問にお答えしますと、私は今から25年前に第一空挺団普通化群第三中隊にいました。御巣鷹山の事故より数年前に在隊していました。
やっぱり自衛隊はAKB48で行きましょう ∠( ̄▽ ̄*
自衛隊よりかっこいいですね
中国人や朝鮮半島の人々は『日本人昔何をした』といいますが、私たちはそれに対して何もいう必要はありません。黙して語らず――私たちの心情は彼らには理解できないでしょう。
そこは私たちの聖域であって、彼らが入ってくることは難しいでしょう。
2010年10月27日水曜日
ゆうこりん、空挺のマスコットガールに認定!!
というのは、根も葉もない、たった今造った(引き)のキーワードですが、それにしても可愛いですね~~~
ア〇マ二曹、もとい軍曹でしたね。あっと、軍曹は今はないから曹長ですか。
軍曹のお考えとしては……?
ゆうこりんも千葉県出身だし、空挺のマスコットガールになってもよいのでは?
ゆうこりん、実は私が空挺に入った年に生まれたらしいです。
オギャーと生まれたら、僕が空挺にいました。
え~~~~、なんで~~~~
いま、きになってしらべたら、生年月日がそうなってました。
もしかしてですよ、
ひょっとしてですよ、
私は5月隊員で、つまり、自衛隊にはいって前期教育を受け終わるのが8月。
5月隊員とはいえ、5月中に入るからで、実際は6月から横須賀の簡易刑務所に放り込まれ、6,7,8月と
3ヶ月教育を受け、それから配属駐屯地へと向かい、そこでさらに後期教育を受けるのです。
私は奇跡的に空挺検査に受かり、
(けっこう厳しいです。身体検査から始まり振り落とされ、IQ検査までさせられました。だから空挺隊員は頭いいんですよね。私のような例外もいますが……。志望した半数以上が落とされました。)
習志野へ配属となりました。
とはいっても、あくまで試験中なんです。まだまだ空挺隊員にはさせてもらえません。
3ヶ月のけっこうきつい訓練の後、
(ついてそうそう迷彩服を支給されました。当時は迷彩服がめずらしく、一般部隊ではめったに来ませんでした。それが、習志野にきたらごく当然とばかりに無造作に手渡されました。つぎはドーランも(支給なし)買わされて、顔をぐちゃぐちゃに塗って、お化けのような顔をして草むらに消えていきました)
――ドーランって、ランボーが顔に塗りたくってるでしょ。あれ。――
当時の一般部隊ではまだまだだったのですが、それがふつうで、さすがに日本一の部隊だなと思いました。と同時に戦争になったら、おれたちは一体どうなるんだ?と、一抹の不安も感じましたが、
そこで私が空挺教育隊に入ったのは12月なので、もしかしたらユウコリンが生まれた時、私は習志野演習場で、汗だくになって走っていたときかもしれません。
ああ、やっぱり私とゆうこりんは運命の糸でつながっていたのか。
しょうがないから結婚してやるか。 ^^ ね、ア〇マ軍曹?!
教育は無事終わったけど、実際、飛び出し塔から飛び出せなかったり、体力、レントゲンなど、いろんな理由から数人脱落しました。
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