やっぱり自衛隊はAKB48で行きましょう ∠( ̄▽ ̄*
自衛隊よりかっこいいですね

中国人や朝鮮半島の人々は『日本人昔何をした』といいますが、私たちはそれに対して何もいう必要はありません。黙して語らず――私たちの心情は彼らには理解できないでしょう。
そこは私たちの聖域であって、彼らが入ってくることは難しいでしょう。

2011年3月30日水曜日

自衛隊の皆さん、災害派遣、復旧支援ご苦労様です。

AKB48――なんだか自衛隊っぽいですよ~~
   これ見て元気出しましょう。食欲出しましょう。

うううう~~ AKB48畏るべし
 や、やばい!!! 自衛官までがAKBウイルスに犯されてしまう……
   でもいいですよね (*^_^*)
最後まで見たら、かなり感動しました ^^


ダンゴ虫、復活しました。ようやく暖かくなりましたね~~

空挺のみなさん、いったいどこにいますか~~
 菅政権になってから自衛隊さん、影薄いですね~~

    民主党ぶっ殺す。

        ――軍事政権を愛するものより――

でもやっぱり、自衛隊さん頑張ってほしいですね。
  私たちには出来ませんから。


ちなみに私的にはこちらのほうがいいですね 
      ↑↑↑ ええい軟弱者!!! ヽ(*`Д´)ノ

2011年3月17日木曜日

臨時ニュースを申し上げます

すいません。あまりのニュースに出遅れてしまいました。日々伝えられるニュースに更新どころではありませんでした。
心配されている方も、もしかしたらいるかもしれないので――あ、心配してない? 
    ( ̄□ ̄;)!! ??)

少し当時の状況をお伝えします。いたのは川崎の山の中ですが ^^
金曜日、3時あたりに会社に着き、トラックを入れるため、先輩に動かしてもらっていました。
トラックに乗ったまま地震が来ました。まったく降りれませんでした。トラックの中のほうが安全だなと思ったので、決して外へは出ませんでした。出れませんでした ^^;
降りたくないですよね~~ 地面が波打ってるんですから。まるで生き物のようでした。
私には10分くらいゆれていたように思えました。
いっこうに治まる気配がないので、いよいよ日本も終わりか。世界も終わりか。地球も終わりか。
短い人生だった。死ぬのかなあと、様々な思いが頭の中を駆け巡りました。

いま、朝、05:41 眠い。少し寝ます。ムリ

2011年3月4日金曜日

陸自レンジャー頑張る ( ̄□ ̄;)!!

陸自のレンジャーさん、がんばってますね ^^ 頼もしい限りです。

第一空挺団のいわゆる空挺レンジャーも、横から見ていただけですが、すごいなあとおもいました。
ちょうど昼食を食べて食堂から出てきたら、レンジャーの走行訓練に出っくわしました。
教官が脇で一緒に走り、黒地に髑髏マークの空挺レンジャー旗?というのでしょうか、旗を掲げて、「空挺……レンジャ……」という掛け声が聞こえてきました。
たぶん皆さん疲れ果ててあまり声が出なかったのか、低い声でみじかく叫ぶその声が、かえって凄みを感じ、「うわあ遊びじゃないんだなあ……プロ集団……」と、畏怖の念を抱きました。
皆さん疲れ果ててて、走っているというより、足を引きずるというか、走る格好をしているといった感じでした  (^^ゞ


これはたぶん陸自のレンジャー教育ビデオだとおもいます。
数ヶ月前、これをこのブログに載せたのですが、一ヶ月以内に削除され、二度と見れないのかと落胆しましたが、また見れてうれしくおもいます。尖閣流出ビデオとおなじく、公開してはならないものだとはおもいますアルカイダやタリバンなどのテロリストの為の、そのまま教範になりそうですから。
殺しのテクニックです。

また陸自のお偉いさんに削除されるかもしれませんので、くれぐれも見逃さないでください。

2011年3月2日水曜日

同盟軍 82空挺師団 101空挺師団

アメリカのことばかり紹介してすみません。  (^^ゞ
しかし、アメリカは日本にとっての大事な同盟国です。対岸の脅威に対し、どうしても必要です。
かつて日本はアメリカと戦い敗戦の憂き目を見ましたが、それがどうしましたか?
負けたら、次は勝てばいいのです。ただ、アメリカの可愛い子供たちの丸焼きは見たくありませんからね ^^
ひとしきりアメリカを紹介したら日本と近隣情勢に戻ります。

〈音声はノーマルです〉


CATVのディスカバリーチャンネルを見ていたのですが、アメリカの空挺部隊というのをやっていました。
すごかったです。そしてまた、私も一時期、空挺隊員であったのを誇りにおもいました。
緊迫した機内から、まなじりを決してC1から飛び出したことが、いまではうそのように感じます。
でも、いまでも普通に降りられるとおもいますよ ^^

アメリカの空挺が発足したのは、番組によると、どうやらドイツ軍の奇襲作戦から触発されたようですね。
ドイツ軍は西部侵攻作戦において、オランダの要塞に空挺奇襲作戦を行いました。それに刺激されて、最初は実験部隊として50人程度だったらしいです。

アメリカ人はひ弱なようで(戦時中の日本軍はそうおもっていた〉ガッツがあるんですね。
猛訓練に耐えた精鋭たちは、やがてD-dayにおいてドイツ軍をかく乱するため、降下作戦を実行しました。映画「遠すぎた橋」で皆さんもご存知ですね。
しかし、あれはレッドベレーと呼ばれる、イギリス軍第一空挺師団の話だったらしいですね。
こともあろうにドイツ軍の精鋭のど真ん中に降り立ってしまったのです。包囲されるというより、包囲されてます!という次元です。さらにタイガー戦車にドドドッと来られたんでは……ムリ、muri、muri!!!

でも、アメリカの空挺師団はがんばったみたいです。おとりのゴム製ダミー人形を500体も降下させ、ドイツ軍はパニックに陥り、貴重な海岸線防衛の戦力をかなり割かれたそうです。人形にいくら撃っても最初から死んでます。意味なし。人形にかまけているうちに、エアボーンはあちこちでドイツ軍をかく乱しました。

のちのバルジの戦いにおいては、要衝地バストーニュに101空挺師団が立て籠もり、ドイツ軍を釘付けにし、戦いの流れを変えました。
包囲しているドイツ軍が降伏勧告をしても、返事は「馬鹿野郎!!」だったそうです(ホモ野郎だったのかも?〉。このアメリカ軍は決して降伏しなかったようですね。アメリカ空挺の教範には降伏という文字はなかったらしいです。


悲しい曲です 戦争はいけません

おそらくベトナム戦争の反戦歌だと思います。

    

シノビ

フォロワー